西郷隆盛・高崎五六書簡 大久保利通宛(一只今又々云々)
| ID | H-1316-64-1 |
|---|---|
| name | 西郷隆盛・高崎五六書簡 大久保利通宛(一只今又々云々) |
| alternatename | |
| collection | 大久保家資料 |
| alternatecollection | オオクボケシリョウ |
| Cultural property | 指定:重要文化財 |
| quantity | 1点 |
| size | 縦16.80 cm 横87.50 cm |
| material | 原品: 紙 |
| authenticity | 実物 |
| era | 江戸時代 |
| year | 1862 |
| year | 1862年 |
| era_2 | 文久 |
| era_3 | AD1862 世紀:19-C 時代:江戸時代 元号:文久 - 02 年 |
| location | |
| description | 目録77頁 年月日(文久2)8・21 差出人 土師吉兵衛・高崎猪太郎 宛先 大久保一蔵様 掲載刊本 「大久保利通関係文書」84-7 この日に起きた生麦事件に対する横浜居留外国人の動静ついて報じたもの。「先剋被切果候夷人は百壱番船之商人イギリス之由」などと被害者の情報のほか、横浜では銃を持った外国人が警戒し、通行人を改めていることなどを記す。大久保は御小納戸頭取として島津久光一行の行列中にいた。事件発生は午後2時頃、この書簡が書かれたのは午後7時頃である。その日、久光一行は保土ケ谷宿に宿泊したが、連名の差出人高崎五六(猪太郎)・土師吉兵衛は神奈川宿に残留し、探索活動にあたっていた。『大久保利通関係文書 三』では、この書簡を西郷隆盛のものとしているが、西郷は6月には二度目の遠島処分となっており、土師吉兵衛は西郷とは別人である。高崎五六(1836~96)は早くから志士として活動した薩摩藩士で、後年は東京府知事などをつとめ男爵となった。 ※企画展「大久保利通とその時代」(2015.10)図録18~19頁(第2章)「文久2年8月21日付大久保利通宛土師吉兵衛・高崎五六書簡」 即日閲覧:モノクロ画像3コマ |
| Owner | 国立歴史民俗博物館 |
| Rights |