旗本甲斐庄家文書
| ID | H-2096 |
|---|---|
| name | 旗本甲斐庄家文書 |
| alternatename | ハタモトカイノショウケモンジョ |
| collection | 旗本甲斐庄家文書 |
| alternatecollection | ハタモトカイノショウケモンジョ |
| Cultural property | 指定:未指定 |
| quantity | 156点 |
| size | |
| material | 原品: 紙、布、木 |
| authenticity | 実物 |
| era | |
| year | 0 |
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| era_2 | |
| era_3 | AD 世紀:- 元号: |
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| description | 江戸幕府の旗本甲斐庄家に伝来した文書156点。同家は喜右衛門を襲名し、河内・武蔵・相模・上野で4,000石を領した。幕末の当主正博(大和守、1815~73)は昌平黌学問吟味乙科及第で、大坂船手・先手鉄砲頭・駿府定番などを歴任した。正博の子正光(帯刀、1845~68)は戊辰戦争の際にはいち早く新政府に帰順し、本領安堵され、下大夫の身分を得て朝臣となった。正光の養子正秀(源吾、1853~1907)は、同家が楠木正成の子孫であると称したことから、明治2年(1869)に楠姓への改姓を願い出たほか、明治20年代に至るまで華族への昇格運動を続けた。正秀の子楠音は日本画家・風俗考証家として知られる。正博の実子正啓は楠と改姓して別家し、実業家となった。正博の時代の漢学関係や従五位下の任官状などがあるほか、明治初年の日記・諸届類が含まれる。正啓宛の正秀書簡などが残されていることから、本史料は正啓の側に伝来したものではないかと思われる。 |
| Owner | 国立歴史民俗博物館 |
| Rights |