高句麗好太王碑拓本
| ID | H-127 |
|---|---|
| 資料名 | 高句麗好太王碑拓本 |
| 資料名カナ | コウクリコウタイオウヒタクホン |
| コレクション名 | 高句麗好太王碑拓本 |
| コレクション名カナ | コウクリコウタイオウヒタクホン |
| 文化財指定 | 指定:未指定 |
| 点数 | 2組 |
| 大きさ | |
| 材質 | 原品: 紙,布 |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | |
| 西暦年 | 0 |
| 西暦年 | |
| 元号 | |
| 年代表記 | AD 世紀:20-A |
| 地理情報 | |
| 説明 | 高句麗第19代の王、好太王(広開土王)の事跡を刻んだ通称好太王碑の碑文拓本2種、折本装4帖1組と袋綴冊子装4冊1組。各拓本には旧蔵者を表す印記数種が押印、中には清朝皇室の愛新覚羅の印記も数種あり。 この資料は、中華人民共和国遼寧省博物館に所蔵されていたもので、同館発行の証明書によれば民国初年(1912)に採拓・製作した比較的完全な拓本とされている。制作年代についての日本における研究例(古文化論叢「広開土王碑文の問題点」白崎昭一郎 昭和58年7月)などからも、1910年前後に位置付けられ、ほぼその年代を把えることができる。 好太王碑は、1880年頃輯安(集安)の現地農民により発見され、当初碑文の四面は苔に覆われ侵蝕されていたが、その苔を焼去したところ初めて文字があらわれた。碑表面はざらつき凹凸がはげしく文字は深めに刻まれていたため苔が除去されない上技術的にも初期の拓本は不鮮明で判読困難なものだった。初めて精巧な拓本が北京に入るようになったのは、1887年盛昱が遣わした拓工李雲従による拓出より後のこと。碑文は、風化と民国建国後の大量拓出により剥落がすすみ、清の宣統年間には数種の精巧な拓本の影印版が出版された。 |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |