中御門経之書簡 大久保利通宛(秋冷相催候処云々)
| ID | H-1316-100-9 |
|---|---|
| 資料名 | 中御門経之書簡 大久保利通宛(秋冷相催候処云々) |
| 資料名カナ | |
| コレクション名 | 大久保家資料 |
| コレクション名カナ | オオクボケシリョウ |
| 文化財指定 | 指定:重要文化財 |
| 点数 | 1点 |
| 大きさ | 縦16.50 cm 横59.00 cm |
| 材質 | 原品: 紙 |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | 江戸時代 |
| 西暦年 | 1867 |
| 西暦年 | 1867年 |
| 元号 | 慶応 |
| 年代表記 | AD1867 世紀:19-C 時代:江戸時代 元号:慶応 - 03 年 |
| 地理情報 | |
| 説明 | 目録93頁 年月日 (慶応3)8・20 差出人 和楽 宛先 大久保一蔵殿 (裏打ち) 掲載刊本 「大久保利通関係文書」135-9 「土州夷船件」とは、長崎でのイギリス艦イカルス号水兵殺害事件の問罪のため、8月6日公使パークスが高知に来航したこと。「原一も天誅相蒙快然候」とあるのは、14日に将軍徳川慶喜の腹心原市之進が暗殺されたこと。大久保にとって原は手ごわい政敵だったが、皮肉にも旗本による犯行であり、慶喜に兵庫開港の勅許を奏請させたという罪名だった。薩摩藩は兵庫開港問題よりも長州処分問題を先にするよう主張し、慶喜と対立していた。中御門経之(なかみかどつねゆき)(1820~91)は、幽閉中の岩倉具視や大久保とも通じた反幕派の公家。 ※企画展「大久保利通とその時代」(2015.10)図録39頁(第2章 藩士・志士・策士の顔)「慶応3年8月20日付大久保利通宛中御門経之書簡」 即日閲覧:モノクロ画像3コマ |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |