八戸順叔書簡(私儀生来経済之事云々)
| ID | H-1316-105-1 |
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| 資料名 | 八戸順叔書簡(私儀生来経済之事云々) |
| 資料名カナ | |
| コレクション名 | 大久保家資料 |
| コレクション名カナ | オオクボケシリョウ |
| 文化財指定 | 指定:重要文化財 |
| 点数 | 1点 |
| 大きさ | 縦18.80 cm 横99.50 cm |
| 材質 | 原品: 紙 |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | 江戸時代 |
| 西暦年 | 1868 |
| 西暦年 | 1868年 |
| 元号 | 慶応 |
| 年代表記 | AD1868 世紀:19-C 時代:江戸時代 元号:慶応 - 04 年 |
| 地理情報 | |
| 説明 | 目録100頁 年月日辰(慶応4)6・差出人八戸順叔 包 掲載刊本立143-1 八戸順叔は、1867年、清国で発行されていた新聞に日本が朝鮮を侵略しようとしているとの記事が掲載された際、ニュース源とされた日本人である。その報道を知った朝鮮政府は対馬藩を詰問し、それに対し幕府は虚報であると回答する一方、別件として、朝鮮が西洋諸国と開戦するようなことがないよう説得するべく、使節の派遣を申し入れた。使節に任命された平山図書頭一行は大坂まで行ったが、やがて大政奉還となり派遣は実現しなかった。八戸の虚報事件は清国・朝鮮の日本に対する警戒心を呼び覚まし、維新後にも尾を引くこととなった。八戸の素性は必ずしも明らかでないが、八戸喜三郎とも名乗ったようでもあり、幕府代官手代八戸厚七郎の子で、外国奉行支配組頭をつとめた幕臣田中光儀の弟とされる。新政府での登用を求めたこの書簡には、彼が維新前に上海・香港・アメリカに渡航したとの経歴が記されている。記載はないが大久保に宛てたものか。包紙には「心事一則」との表題。※企画展「大久保利通とその時代」(2015.10)図録58頁 即日閲覧:モノクロ画像5コマ |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |