池田寛治書簡 大久保利通宛(英公使ウエードも近日上海ニ云々)
| ID | H-1316-28-2 |
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| 資料名 | 池田寛治書簡 大久保利通宛(英公使ウエードも近日上海ニ云々) |
| 資料名カナ | |
| コレクション名 | 大久保家資料 |
| コレクション名カナ | オオクボケシリョウ |
| 文化財指定 | 指定:重要文化財 |
| 点数 | 1点 |
| 大きさ | 縦24.20 cm 横33.20 cm |
| 材質 | 原品: 紙 |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | 明治時代 |
| 西暦年 | 1874 |
| 西暦年 | 1874年 |
| 元号 | 明治 |
| 年代表記 | AD1874 世紀:19-C 時代:明治時代 元号:明治 - 07 年 |
| 地理情報 | |
| 説明 | 目録48頁 年月日 (明治7)10・20 差出人 寛治拝(池田寛治) 宛先 大久保公閣下(大久保内務卿殿) 封筒入り 掲載刊本 「大久保利通関係文書」6-2 明治7年9月10日から11月1日までの間、全権弁理大臣として派遣された大久保は北京に滞在し、台湾出兵の処理をめぐり清国政府との交渉にあたっていた。池田はその随員の一人であり、情報収集のため上海に派出していたらしい。文中に登場するイギリス公使ウェードは、日清の仲裁に乗り出していた。清国が50万両を撫恤金として支払うことで交渉が妥結したのは当月末のことである。池田寛治(1848~81)は長崎出身、文部大助教として岩倉使節団に参加したほか、後に天津領事や長崎税関所長などをつとめたが、この時は内務省七等出仕だった。 ※企画展「大久保利通とその時代」(2015.10)図録64頁(第4章 外交手腕の発揮)「明治7年10月20日付大久保利通宛池田寛治書簡」 即日閲覧:モノクロ画像3コマ |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |