岩倉具視書簡 大久保利通宛(警保寮出席一体云々)
| ID | H-1316-6-4-1 |
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| 資料名 | 岩倉具視書簡 大久保利通宛(警保寮出席一体云々) |
| 資料名カナ | |
| コレクション名 | 大久保家資料 |
| コレクション名カナ | オオクボケシリョウ |
| 文化財指定 | 指定:重要文化財 |
| 点数 | 1点 |
| 大きさ | 縦15.50 cm 横234.50 cm |
| 材質 | 原品: 紙ほか |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | 明治時代 |
| 西暦年 | 1874 |
| 西暦年 | 1874年 |
| 元号 | 明治 |
| 年代表記 | AD1874 世紀:19-C 時代:明治時代 元号:明治 - 07 年 |
| 地理情報 | |
| 説明 | 目録19頁 年月日 (明治7)1・11 差出人 具視 宛先 利通卿 巻78 掲載刊本 「大久保利通関係文書」28-248 「久光卿之事件是又承り候、辞表不聞食之儀ハ素リ不待論事」云々とあるのは、7日に内閣顧問を辞めるとの辞表を出した島津久光のこと。政府の欧化政策に不満を抱き続けていた久光であったが、前年勅使が派遣されたことで上京し、内閣顧問に任じられていた。しかし、時代に逆行した意見書ばかり提出していた久光は、一向に自分の建議が採用されないことに怒り、辞表提出に至ったのだった。翌日付の返書で大久保は、久光のことを手に負えない自暴自棄の子どものようだと記した。この時の辞職は許されなかったものの、結局、久光は9年(1876)には鹿児島へ帰ることとなった。 ※企画展「大久保利通とその時代」(2015.10)図録82頁(第6章 盟友西郷隆盛との訣別)「明治7年1月11日付大久保利通宛岩倉具視書簡」 即日閲覧:モノクロ画像7コマ、カラー画像有 |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |