細川忠興書状(八月十二日付)
| ID | H-1901-1 |
|---|---|
| 資料名 | 細川忠興書状(八月十二日付) |
| 資料名カナ | ホソカワタダオキショジョウ(ハチガツジュウニニチヅケ) |
| コレクション名 | 細川忠興書状 |
| コレクション名カナ | ホソカワタダオキショジョウ |
| 文化財指定 | 指定:未指定 |
| 点数 | 1幅 |
| 大きさ | 縦33.60 cm 横47.20 cm |
| 材質 | 原品: 紙(楮紙) |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | 江戸時代 |
| 西暦年 | 0 |
| 西暦年 | |
| 元号 | |
| 年代表記 | AD 世紀:17 時代:江戸時代 |
| 地理情報 | |
| 説明 | 〔料紙〕楮紙〔形態〕折紙(現状は掛幅装)〔日付〕八月十二日〔差出書〕三斎宗立(ローマ字青印「tadauoqui」)〔宛名書〕長岡勘解由殿〔内容〕細川忠興(1563-1645、号三斎、法名宗立、前豊前小倉藩主)が家臣の長岡延之(旧姓沼田、勘解由左衛門)に宛てた書状で、「見舞」として「索麺二桶」を献上されたことに対する礼状である。忠興は元和6年(1620)閏12月に出家して「三斎宗立」と号した。本書状には、ローマ字で「tadauoqui」と陰刻する小型の重廓円印(青印)が捺される。忠興は慶長6年(1601)頃から病中に花押の代用として印章を使用したが、晩年には慢性の眼病のため花押を署すことが困難となったため、寛永10年(1633)以降は印章の使用が主体となる一方、寛永13年(1636)をもって花押の使用が途絶えた。寛永初年の印影は印面の摩耗のため重廓が不明瞭であるが、その後印章を新調したらしく、寛永11年頃には重廓が再び明瞭になるとされる。本書状の印影は重廓であるため、忠興の印章使用の年代的傾向を勘案すれば、発給年代は寛永11年(1634)頃~正保2年(1645)に絞られる。 ※企画展示「日本の中世文書」図録 |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |