羽柴秀吉書状
| ID | H-1907-34 |
|---|---|
| 資料名 | 羽柴秀吉書状 |
| 資料名カナ | |
| コレクション名 | 平沼伊兵衛氏収集文書 |
| コレクション名カナ | ヒラヌマイヘエシシュウシュウモンジョ |
| 文化財指定 | 指定:未指定 |
| 点数 | 1点 |
| 大きさ | 縦15.80 cm 横48.00 cm |
| 材質 | |
| 実物か複製か | 実物 |
| 時代 | 安土桃山時代 |
| 西暦年 | 1583 |
| 西暦年 | 1583年 |
| 元号 | 天正 |
| 年代表記 | AD1583 世紀:16-D 時代:安土桃山時代 元号:天正 - 11 年 |
| 地理情報 | 埼玉県飯能市 |
| 説明 | 年月日:(天正11年)卯月29日 差出:秀吉(花押) 宛所:直江山城守(兼続)殿 狩野讃岐守(秀治)殿 形態:横切紙 料紙等:雁皮 木箱入、包み紙(29.8×17.9) 年代は付箋及び包紙 羽柴秀吉が、上杉景勝の家臣である直江山城守(兼続)と狩野讃岐守(秀治)に充てて出した書状。 薄い雁皮紙に書かれている。雁皮紙は戦国大名間の外交的な文書によく使用された。 内容は、賤ヶ岳の合戦後に柴田勝家を滅ぼしたことを告げたもので、景勝が事前の約束通りに出兵しなかったことを責めている。〔大意〕柴田勝家を切腹させて、加賀、能登、越中は私の手に属した。柴田と戦う際は、そちらからも攻め込む手はずだったが、どうしたことか。詳しくは使者の寺内織部が述べるので景勝に伝えるように。 ※企画展示『日本の中世文書』(2018年)図録 5-18 141頁 |
| 所蔵 | 国立歴史民俗博物館 |
| 権利表示 |