順徳院御百首・東関竹園(宗尊親王)三百首・中院(土御門院)御百首

ID
H-743-58
資料名
順徳院御百首・東関竹園(宗尊親王)三百首・中院(土御門院)御百首
資料名カナ
ジュントクインオンヒャクシュ・トウカンチクエン(ムネタカシンノウ)サンビャクシュ・ナカノイン(ツチミカドイン)オンヒャクシュ
コレクション名
田中穣氏旧蔵典籍古文書
コレクション名カナ
タナカユタカシキュウゾウテンセキコモンジョ
文化財指定
指定:未指定
点数
1冊
大きさ
縦23.90 cm 横17.30 cm 高1.00 cm
材質
原品: 紙
実物か複製か
実物
時代
江戸時代
西暦年
0
西暦年
元号
年代表記
AD 世紀:17-AX 時代:江戸時代
地理情報
説明
目録『国文学資料・聖教類編』35頁  慶長頃、大和綴、白地藍契り散し表紙、墨付47丁、本文10行・字高20.8cm 首題:[1]順徳院御百首[2]東関竹園三百首 文応元年[3]中院御百首 外題:(題箋)順徳院御百首/東関竹園 宗尊親王 三百首/中院 土御門院 御百首 内容:3作品の合写。[1]順徳院御百首。承久の乱で佐渡に流された順徳院が、貞永元年に京都の藤原定家に送って批評を求めた百首歌。また、順徳院は隠岐の後鳥羽院にも合点を求め、写本には両者の評価が併記されている。本資料はいくつかの写本を用いて校合。[2]宗尊親王三百首。東関竹園三百首、文応三百首とも。鎌倉将軍宗尊親王が文応元年10月以前に鎌倉でまとめた三百首和歌。親王の和歌の師匠であった藤原為家や真観(葉室光俊)をはじめ、当時の有力歌人たちによる合点・批評が加えられている。[3]土御門院御百首。建保4年に土御門院が詠んだ百首歌。土御門院は「中院」と呼ばれたので、「中院御百首」と称する写本も多い。本百首はまず藤原家隆に送られて合点された後に、家隆から藤原定家に回覧されてさらに評語・合点が付された。 旧箱:第十三箱一四  閲覧:モノクロ59コマ 紙焼本
所蔵
国立歴史民俗博物館
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