元寇遺跡(2)瀬戸浦

都道府県名
長崎
数量
発掘地
長崎県壱岐郡芦辺町
時代(**時代)
時代(**時代)②
時代(区分)
時代(元号など)
西暦年
西暦年
時代(和暦)
作者
法量
品質
形状
瀬戸浦が弘安4年6月29日から7月2日にかけて元寇の戦場となったことは、竜造寺文書弘安5年9月9日龍造寺李時宛、北条時定書状及び張百戸墓碑銘に明らかであるが、その瀬戸浦とは何処なりや明らかでなかった。然し、瀬戸の地名は現に平和橋の架設されている狭い海峡即ち瀬戸に発し、そこの入江が瀬戸浦といわれた点よりして、瀬戸浦とはこの海域であることは明らかで、両軍の大船団はこの瀬戸浦及びそれにつづく外海で激戦を展開したものと思われる。なお、上記の傍記資料として比志島文書所収、弘安5年2月日付比志島時範申状及び山代文書所収、弘安5年9月25日付北条貞時書状がある。
讃・奥書・銘文
伝来
写真拓本等
指定の有無
保管者
保管者住所1
保管者住所2
保管者X
保管者Y
表示地理情報
,
所有者
所有者住所1
所有者住所2
所有者X
所有者Y
備考
明治33年松浦詮撰少貳資時君表墓碑が出来て以来、資時墓と称するものと壱岐神社を元寇遺跡として顕彰し来っているが、その確実な裏付史料はない。
調査年月日
昭和48年2月17日
調査者
小島小五郎
IIIFマニフェスト
サムネイル
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